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09-3鍵山幸一郎

前株式会社イエローハット代表取締役社長 鍵山幸一郎氏 第3回「退任の決断」(全4回)

カー用品を中心に全国のみならず海外へも拠点展開し、年商1000億を超える売上を拠出する株式会社イエローハット。昭和36年、モータリゼーションの普及と共に、業界を代表する企業として成長した同社を、リーダーとして率いてきた鍵山幸一郎氏の軌跡をたどってみたい。

前株式会社イエローハット代表取締役社長 鍵山幸一郎氏

第3回「退任の決断」


自らがイエローハットの創業理念である「掃除道」を残すことが、会社の価値を後世に伝える最良の選択であると決意した鍵山は、社長へ名乗りを上げ、取締役会承認のもと見事にその座を獲得した。しかし上場会社の社長という立場において、社会の洗礼は決して甘いものではなかったという。

「インターネットの書込みは取るに足りないと思いながらも、やはり気になります。また小株主であっても権利を主張する時代において、議決権に影響を及ぼさないと謂えども、誠意を持って対応する必要はあります。特にコンプライアンスの観点から非難を受けることは、絶対避けるべきと思います。見解の相違から重加算税を徴収された時、『所得隠し』の表現で批判されたのは困りました。

しかし今思えば『悪意がなければという条件において、社会的などんな洗礼も経営者の糧になる、ということを感じます。それは経営者としての危機管理能力の向上にもなり、また一種の『図太さ』を身につけるといった意味においての、糧になるという意味ですね。

また、上場会社に求められる『時価会計』そして『四半期決算』制度にも随分と苦しめられました。
金融制度においても時の首相が『金融ビッグバン』を連呼していましたが、本当にその意味を理解して金融政策を進めていたのかいささか疑問に思うふしもあります。日本がアメリカの金融政策に追随した結果なわけですが、そのアメリカでは『時価会計を見直そう』という流れがあるわけですが、未だ日本では国際競争力を上げることと、国際会計基準を取り入れることの意味が理解できていないと感じます。日本を代表する企業は、日本独自の経済基盤があった時代に、成長したことを忘れてはならないと思います。

上場企業である以上は、時価会計制度が適用され、また四半期決算開示の義務は結果を早く出すことを意味する。ステークホルダーに対しての責務を果たすことの困難さは、加速度的に増しているのが現状である。そんな中で「会社の価値を社会へ伝える」というビジョンに基づいて4年の社長業を努めた鍵山は、なぜ社長の座を48歳の若さで退くことを決意したのか。

「いろいろな問題があったとはいえ、経営者として業績は業績です。今期において結果を残せなければいかに父親がつくった会社であったとしても、その責は負わねばならない、そういう決意で今期を迎えました。しかし半年たった段階での試算において、どうしても今の体制では結果を残せない、と判断しました。また来期黒字化必達のためには、十分な準備期間が必要と考え、中間期での辞任を決意しました。」

「経営者は常に即決即断が求められる立場です。とはいえ人間は本当に大事な決断がなかなかできないというのも事実であると思います。ましてや自分の進退に関わることなど、自分一人で考えていても決断をすることは非常に困難だと思います。
そんな中私に決断をさせてくれたのは、A級戦犯として文民で唯一絞首刑になった、広田弘毅元首相の生き様でした。「自ら計らわず」の生き方を通した方でした。
また幕末の儒学者であった佐藤一斎の残した
『当今の毀誉は懼るるに足らず 後世の毀誉は懼る可し 一身の得喪は慮るに足らず 子孫の得喪は慮る可し』

今自らの利害を考えるよりも後世に残る影響の善悪を考えよ、という言葉でした。
経験に基づき決断できればいいのですが、やはり自分だけの考えで決断できないような、重要な場面に遭遇することもあります。そのような状況においては、何百年もの間に後世に語り継がれている先達の思想を参考にしたらいいのではないか、と思います。」

この次代の会で行われた講演の中で、業績の責任をとって社長を退いた経営者の思いを聞くのは鍵山が初めての人である。また、鍵山は退任後初めてそのときの思いをこの会で、次代を担う若き経営者に包み隠さず語っているのである。
会場で聞いた彼の言葉を再びテープで起こしながら、彼がどんな思いでこの場に立ったのか、何を伝えるためにこの場に立ったのか、ようやく分かりかけてきた気がした。

次回の最終回においては、そんな鍵山が次代の会の経営者達に自らの経験を通じて伝えたい思いをさらに深く掘り下げて綴っていこうと思う。

(つづく)

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