前株式会社イエローハット代表取締役社長 鍵山幸一郎氏 第1回「執行猶予との追いかけっこ」(全4回)
カー用品を中心に全国のみならず海外へも拠点展開し、年商1100億を超える売上を拠出する株式会社イエローハット。昭和36年の創業からモータリゼーションの普及と共に世界的企業として成長した同社をリーダーとして率いてきた鍵山幸一郎氏の軌跡をたどってみたい。
前株式会社イエローハット代表取締役社長 鍵山幸一郎氏
第1回「執行猶予との追いかけっこ」
前株式会社イエローハット社長の鍵山は48歳。1990年に同社に入社し、2004年に代表取締役社長に就任、4年間の任期を経て昨年9月に業績不振の責任をとって辞任した。今は特別顧問として同社を支えている。
イエローハットといえば創業者で鍵山秀三郎氏(昨年同社相談役を辞任)の「掃除道」が有名だが、父としてだけでなく、経営者としての氏の背中を見てきた鍵山が同社に入社したのは1990年、30歳のときである。巷でよくいわれる「二代目社長」とは違った軌跡を歩んできたようだ。
「父の秀三郎は岐阜の片田舎から本当に自転車一台で上京し起業し、最終的に上場まで成長させたという経歴の持ち主です。偉大な経営者であり父です。そのような家庭環境でいかに経営者としての責任というものが大きいものかを目の当たりに見て育ちました。 責任の重さというよりは、操業当初の経済的に苦しかった時代においても経営者の家族として自らを律しなければならないといったつらさもあり、子供のころは「とにかくこの環境から逃げたい」という思いが強かったのです。
そして1979年4月、高校卒業して間もない私は、アメリカ中部のミネソタ大学に留学をしました。ミネソタはアメリカ内陸気候で寒暖の差が非常に厳しい土地で、特に私が渡米した年は当たり年で華氏マイナス100度(摂氏マイナス38度)という想像のできない寒さの中『なぜそんな場所を選んでしまったのだろう』と後悔したのも懐かしい思い出です。 大学を卒業後、グローリー工業(現グローリー株式会社 貨幣処理機などの最大手)へ採用され、そのまま現地駐在員としての生活がスタートしました。結果として1990年1月に帰国するまでの滞米生活をしていました。」
先ほど「巷でよくいわれる二代目社長」と書いたが、そこには少々の偏見があることを感じていただけたであろうか。というのは社会経験もないまま創業者の子息というだけで会社に入り、能力もなく苦労もせずに会社を経営する二代目社長が多いという認識が私の中にあるのだが、鍵山にいたっては、高校卒業後単身極寒の地へ渡り、大学を卒業した後に駐在員として現地で活躍していた経歴を聞く限り、その偏見は当てはまらないようだ。 異国の地で「外メシ」を食い、自らを鍛えた鍵山は事業経営に対してどのような考えを持っているのだろうか。
「私たちの業界は当たり前のように『この先何十年車が増える』という確実な前提を信じて急激に発展してきました。今まではありがたいことに車の総販売台数が減ったことはなく、また新車は買わないだけで総台数は減っていなかったのです。しかし2008年に初めて車の総台数が減ってきてしまった。これからこの業界は非常に大変になると思います。
業界で最も川下である私たちは、昔車に純正装備されていなかったエアコンなどでも大きく利益を得る事ができましたが、今では川上であるメーカーで標準装備されてしまっている。そのようなものが業界に関係なくたくさんあると思います。100円ライターに対してマッチ、デジタルカメラに対して使い捨てカメラ、CDに対してMDのように、消えていく商品が必ずあり、新しい時代の流れについていけない会社は倒産していってしまった。 そのように時代の流れをイエローハットでも考慮し、今までやらなかった車検などのサービス事業にも進出しています。 こうして考えると商売とは「執行猶予との追いかけっこ」なのではないか、私はそう考えます。先ほどのエアコンの話ではないですが、商品というものは世の中に出たときから「執行猶予」が始まっており、その期間が切れるまでに新しいサービス・商品などを仕掛けていかないとならないと生き残る事は難しいと思っています。執行猶予期間にそれをする余裕があったはずなのに、そこに対して変化をしなかった企業は皆つぶれてしまっていますね。
ピークの時には実は執行猶予が半分は過ぎてしまっている、そう考えたほうがいいとさえ思っています。しかしトヨタのように日本を代表する大企業でさえその執行猶予に気がつかなかった。新車が売れない、車が減ったとセンセーショナルに報道されていますが、事実はちょっと異なり、今まで乗っていた人が、環境問題意識の高まりや経済的な事情で今まで以上に長く乗るようになっただけの話なのですね。 そのような兆候は見えていたにも関わらず、トヨタほどの企業もそれに対応せずに業績が悪化した結果を、人員整理を中心とした施策で乗り切ろうとしているという姿勢には、私は一経済人としていかがなものか、と感じています。」 講演テーマは「思いを伝えるこだわりの経営」
自由主義の国アメリカで青春時代を過ごした影響か、また伝説として語られる人間を父として育った影響か、鍵山の言葉には自らが築いた正義感、そしてポリシーを感じる。 社長に就任し、4年の間会社を経営してきた彼が突然の辞任に至ったのも、この正義感やポリシーに基づいたものだったのではないか、そんなふうに聞こえる。
次回以降は日本に帰国後イエローハットに入社した彼が、どのような展開をしていったのか、社長への軌跡を追いかけてみたい。 |
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