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13-1日野洋一

株式会社鉄人化計画 代表取締役社長 日野洋一氏 第1回 「カラオケ事業の本質的価値」(全4回)


日本から生まれた余暇文化として海外にも広く受け入れられているカラオケボックス。
競合も多く繁華街でも激戦が繰り広げられる業界で、首都圏を中心にその一風変わったネーミングと独自性のある経営戦略で堅実な成長を遂げている「カラオケの鉄人」をはじめ、まんが喫茶やダーツ・ビリヤードやカフェなど多角的な店舗展開でなんと創業4年半にして平成16年東証マザーズへ上場を果たした株式会社鉄人化計画。「人間が人間であるために不可欠な『遊び』の本質を掘り下げ、創造し、提供することで社会に貢献していきたい」という同社代表取締役社長の日野洋一氏にその経営理念を語ってもらった。

「株式会社鉄人化計画 代表取締役社長 日野洋一様」

第1回「カラオケ事業の本質的価値とは」

株式会社鉄人化計画代表取締役社長の日野は1967年生まれ。大学入学に際して時代はバブル全盛、日野いわく「このまま東京にいては駄目になってしまう」という危惧を抱き、朴訥な環境に身をおきたいということで北海道大学へ入学したという。
北海道大学卒業後は、戦後の日本復興を担って設立され、重厚長大の経済路線に則って成長してきた日本長期信用銀行(現在は新生銀行)に入社。金融畑から始まった日野のキャリアは、なぜエンタテインメント事業へと舵を切ったのだろうか。

「竹内宏さん(元長銀総研理事長)や日下公人さん(元長銀取締役)に影響を受け入行したのですが、実は長銀時代からサービス産業には興味がありました。私の出身は四国の愛媛で伊予商人といって近江ほど知名度がないのですが、商人気質が盛んな土地柄でした。また私の実家は代々事業を営んでおりまして、それもことに全く先代の事業を継がないんです。大学を出たらラーメン屋の屋台から始める、そんな家風でした。

余談ではありますが、ネット通販事業の株式会社ネットプライス(現:株式会社ネットプライス ドットコム)代表の佐藤というのが私のいとこで、上場した日付も同社と1日違いだったという偶然もあります。
そんな環境のなかで創業するまでの間、どの時代も生き残れる企業はどんな企業かと考え続けました。
実は弊社の名前「鉄人化計画」は「料理の鉄人」のニュアンスで考えました。平たくいうとドメインの本質的価値でNo.1になる、という意味です。

例えば『料理』というドメインにはいろいろな価値があります。安い食材で作るだとか、低カロリーの食事を作るとか。ただし『料理』ということであれば、そのドメインの本質は『おいしい』かどうか、という絶対的な基準になると思うのですね。

弊社の事業ドメインを考えた際に、その本質的な価値をめざしていくことで常に優位性を保つことができるのではないか、という会社としてのDNAを刻むためにそのような名前を命名したのです。
私の今までの経験から、長く生き残っている会社というのはどこも同じで、事業ドメインの本質をしっかりと打ち出しており、DNAとして継承されているのだと思っています。」

生まれた環境が人の一生に与える影響の大きさは予測できないものだと改めて感じる。事業を営むことがある意味常識であった日野にとって既にサラリーマン時代から、そのビジョンを描いていたのだろう。しかしなぜ「カラオケ」だったのか。日野の事業家としてのスタートを聞きながら、その疑問が生まれてきた。

「弊社の設立は1999年12月、そしてカラオケの鉄人1号店のオープンが2000年4月ですから約4か月での事業スタートになりました。
99年当時、既にカラオケは5500億円市場となっており、成熟期を迎えていました。常識的に考えて市場が成熟化している状況での参入はビジネスのセオリーからいえばかけ離れた勝負になるわけです。
当時いろいろな方に『頭がおかしいのではないか?』などといわれました(笑)

ただ私は先ほども申し上げたように、物事における本質的な価値はなにか?ということを会社の社是として据えていたので、カラオケの本質は何なのか?を追求した事業展開を考えた末『カラオケは歌を歌いたい人のためにある』という結論に達したわけです。
そこで1号店としてオープンした溝の口店では、内装や接客に関してのプライオリティを下げ、徹底的に楽曲数での1番を目指すということを最重要課題として挙げました。
当時のカラオケボックスはシステムの関係上楽曲を配信するのに特定の業者しか使えず、約2万曲が限度だったかと思いますが、弊社がLinuxを利用した配信システムを構築し、10万曲をそろえることに成功したのです。

豊富な楽曲数が話題を呼び、当初の投資金額1億5千万を約1年8か月で回収することに成功しました。私のビジョンとしては企業当初から株式公開を目指してやってきましたが、企業した翌年にマザーズができたので、マザーズの上場をひとつの目標として頑張ってきました。
その後もおかげさまで順調に推移し、約4年半後、2004年にマザーズへの上場を果たすことができましたが、ちなみにこの記録に関しては、店舗形態での事業で上場した中では最速だということでした。」

本質的な価値を見出す、それを事業のコアにすえること、そして当時誰もが導入していなかった楽曲配信システムを構築し、市場でのオンリーワンを目指す、といった戦略が見事に成功したということである。
あくまでもビジョンや概念だけでなく、それを支える戦略や技術が伴っていたからこそ、日野はその勝負に出たのだろう。
次回はさらにカラオケという業種に対しての日野のマーケティング理論を語ってもらおうと思う。

(次回に続く)

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