1954年にグループの前身となる㈱インプレスコミュニケーションが設立されて以来なんと55年、IT業界における国内メディアソースとして複数の媒体を展開しているだけでなく、音楽業界、医療業界、デザイン業界、コミックをはじめとするデジタルコンテンツの開発などを23社のグループによるサービス事業として行っているインプレスグループ。
その国内最大規模のメディア事業戦略を統括し、統括する持ち株会社として1992年に設立された株式会社インプレスホールディングスの取締役であり、かつグループ内の㈱Impress Comic Engine及び㈱Impress Touch の2社の代表取締役兼社長と3つの要職を兼任している北川 雅洋氏に、その人生哲学を大きな視点で語ってもらうことにした。この講演に際して彼が銘打った4回にわたるテーマは「経営者やビジネスマンである前にひとりの人として」。どんなメッセージが聞けるのだろうか。
第1回「mission の交差点」
北川のキャリアを語るのにこの4回連載では物足りないくらい、その変遷は華々しく大胆でもある。大阪府門真市に生まれた彼が辿ってきた軌跡をまず振り返ってみることとしよう。
「大学卒業後には好きな音楽をフリーランスの仕事としてやっていたこともあり、就職活動にあたってはネクタイ1本もないという状態でした。音楽、アートやデザイン、写真、メディア、そしてグローバルなものの見方などが私の幼い頃から深く興味をもっていまして、それに没頭していた青年時代でした。
その反面、特に深い興味はなかったのですがアルバイトなどを通じて経験したこととして、ITがあり、店での接客販売や営業があり、また経営というものがあったのです。また私が世界の中で最も気になる出来事としてイスラエルとパレスチナの国際紛争があります。なぜだか理由は分からないのですが昔からこの地域のことには深く興味をもっていました。」
もともとアート系に興味があった北川だが、その実力は一般的なレベルを超えた高いレベルのものだったようだ。中でもギターに関しては、プロとしてのソロデビューを真剣に考えるほどの腕前だったようだ。
日本を代表する超大物アーティストやタレントのバックバンドとして若かりし頃の彼の写真が会場のパワーポイントに映し出されたときには、思わず会場から声が漏れる。
また、昔から理由は分からないが興味をもっていたという中東の紛争に関しても彼が素地としてもっていたグローバルな視点を垣間見ることができる。かの地域では昨年末のイスラエル軍のガザ侵攻により2000人以上の死傷者を出しているというスライドの内容は、一見彼のキャリアとどう関係性をもつものなのか、この時点では気がつかなかったが、彼が講演で伝えたかった内容に関して深く関係しているものだった。このテーマに関しては順を追って彼の口から聞けることとなる。
さて、そんな彼が音楽を生業とする生活から一転し、ネクタイ1つない状態で「興味はなかったが経験していた」というスキルを基にビジネスマンとして入社したのが孫正義氏の率いるソフトバンク株式会社だった。時に1984年。まだソフトバンクも設立3年目という、まさにPC系IT業界の黎明期である。北川は孫社長の片腕として様々な事業展開をサポートする立場として獅子奮迅の活躍をする。
そこで実績を上げ、福岡の営業所長や西日本地区リーダーなどを務めた北川は、当時の徳島県の担当顧客であるジャストシステムとの劇的な出会いを経て、「ATOK」と「一太郎」の開発及びマーケティングに深く携わり、ソフトバンクの独占権を獲得して日本ナンバーワンのビジネスソフトに成長させた。その後、戦略子会社の立ち上げに加えてセールス&マーケティングマネージャーなどの要職を経て、ジャストシステム㈱へ入社する。そこで営業企画室マネージャーを経て、ここから知人と技術系コンサル会社、㈱オープン・インターフェースを設立し、代表取締役副社長となる。
その後の経歴は日本に留まらず昔から興味があったグローバルマインドと、経験で身につけたITや経営のスキルを武器に、世界規模でのキャリアパスを歩み始める。
前職で提携していたアメリカのソフトウェア会社SystemSoft Inc.日本法人、またスウェーデン資本のオンライン英会話サービスのイングリッシュタウン、イスラエルに本社を置くソフトウェア会社バグライフ日本法人、語学教材通販のエスプリラインなど各社の代表を務めあげ、インプレスグループに参加したのは2006年の話であるという。また北川は経営者としてだけでなく、執筆者としての才能をも遺憾なく発揮して、過去にIT系の著作を4作品も上梓している。
淡々と自らのキャリアを語る北川だが、その経歴の一つ一つが規模、クオリティにおいて輝かしい実績である。当初エリート一辺倒の意見が出るのではないかとうがった見方をしていた筆者は、この後に展開される彼の人生哲学が机上のものでない、あくまでもリアリティに基づいたものであることに深く気づかされることになった。
「Mission~使命 ということばがありますが、私が自分なりに選択、経験してきたなかから『人生と仕事のmission の交差点を知る』というテーマで皆さんにアドバイスできることがあると思っています。次回はそのことをお話しさせてください。」
次回は彼が自らのやり方でつかみ取った「mission 使命」の考え方を彼の言葉を借りて皆さんにもお伝えしたいと思う。
(第2回につづく)