楽天株式会社 取締役 常務執行役員 安武弘晃氏 最終回「そしてこれから」(全4回)

店舗数25,000店舗、会員数5000万人。インターネットの通販事業において日本で最大級の売上を誇る楽天株式会社。2000年に上場し、野村克也監督率いるプロ野球球団をはじめ銀行事業、証券・クレジット事業、旅行事業、ポータルコンテンツ事業などを多角的に運営し、1年間に1兆円もの金額が流通するインターネットコマースプラットフォームを構築している。
ネット時代の到来に彗星のごとく表れ、瞬く間に時代の雄として駆け上がった同社の軌跡を、創業時からのコアメンバーとして支えてきた安武弘晃氏に語ってもらおうと思う。


楽天株式会社 取締役 常務執行役員 安武 弘晃氏

最終回 「そしてこれから」

ネット事業の認知度の高まりと、消費者のリテラシーの向上の波に乗っていよいよ3部作の最終章「ジェットコースター期」へ突入し始めた楽天株式会社。順風満帆に見える彼らの成功を安武はどう分析しているのか。

『うまくいった要因の一つには「運がよかった」こともあると思っています。「楽天市場」のページは初期の頃は動的にプログラムで生成していたのですが、アクセスが増えるにつれパフォーマンス的な問題があり、上場前でサーバーを数多く購入する余裕がなく、やむなくページを静的なHTMLに変更しました。

ちょうどその頃にGoogleが出現し、静的なページの方がページランクが上位になるように表示してくれるようになったことで、いろいろな検索結果で楽天が上位にくるということが起こったわけです。その効果は本当に大きかったと思います。もし資金に余裕があってページ表示を動的なままにしていたら伸び率が悪かったかもしれません。

また、いろいろな良い人との良いタイミングでの出会いがあったという運もよかったとおもいます。拡大期は人的リソースに非常に困っていて、あまりに大変だったので、こんなエピソードもあります。

当時営業の営業をしていた男で23時に外回りから帰ってきて眠いのにオフィスで皆が寝ずに頑張っている中で寝てしまうと皆の士気が落ちると気遣い、自宅は歩いて5分の近さにも関わらず、地下一階のゴミ捨て場でダンボールに包まって仮眠して仕事に戻ろうとしてうっかり朝まで寝てしまい、行方不明か?と騒ぎになってしまったのです。
しかしそのような情熱とやる気にあふれたスタッフがたくさんおり、みんなで成長を支えてこれたのは正直運がよかったと思っています。』

やはり「運」が成功にとっては必要不可欠な要素なのだろうか。賛否両論あるにせよ、予測できるもの、推測できる要素以外を語るとき「運」は多くの人から耳にする要素である。しかしそれは若い楽天を支える人材の努力によって引き寄せられたものなのではないか。

『とはいえ失敗もありました。三木谷社長が「プロフェッショナルリズムの徹底」を掲げ、社員が100人くらいになり引越しした際にスタッフの机を全員個別のパーテーションで囲ったことがあります。

しかしその途端に情報の共有が悪くなって、それは問題だ、と、朝礼時には高さ180センチのパーテーションの上から各々が顔を出して「おはようございます」というような不思議な光景になり、結果的には1ヶ月ぐらいでそのパーテーションは外してしまいました(笑)。』

運を味方に、高い志と熱いマインドを強くもった若いメンバーが試行錯誤しながら新しいものをつくりあげていくあたりが、この業界ならではのおもしろさでもある。まさに「マンガ」のような展開とスピードで、楽天は「ジェットコースター期」へと突入していく。

『上場後には事業を拡大するための資金ができたことにより、とにかくたくさんのM&Aもあり、今に至っています。2003年には現在の楽天トラベルである「旅の窓口」を買収しましたが、それまでのM&Aに比べて買収金額は最も大きく300億規模でした。
その後、楽天証券(当時DLJディレクトSFG証券)の買収、さらにプロ野球球団をゼロから作る、といった具合で、次から次により大きな案件が出てくるすごい状況でした。このようなペースでM&Aや新規事業の立ち上げが大きな規模で行われると、会社の規模が急激に大きくなり、その度に会社の雰囲気が変わります。まさにジェットコースターに乗っているような感覚だと思います。

特に印象深かったのはプロ野球球団の設立が発表されたでした。マスコミでも多く取り上げられましたが、実はこのとき社内では本当に情報が少なかったのです。

私がオークションを作ったときと同じようなノリで「とにかくできるかどうかは分からないけれど3ヶ月で作らなくてはならなかった」状態で、社内で公募があり、高いモチベーションを持った人たちが集まり一気に新しいチャレンジを成し遂げていきました。選手がいない、球場がない、オフィスがない。そこからどう作るか、というところから楽天イーグルスを作り上げてきたのです。

その他の印象的なストーリーとして2005年に発生した「個人情報漏洩事件」がありました。原因は直接弊社ではなく取引先ではあったのですが、発生直後は原因は分からないため、徹夜でログを解析し、よく警視庁のハイテク犯罪センターに行き犯人調査をしたりしていました。新聞にも大きくとりあげられ、規模の拡大と共に社会的責任が大きくなっていることを実感した事件でした。』

正直な話、書いてもよいのかどうか迷うようなエピソードがボンボン出てくる。前回より一層そのスケールが大きくなっていることに、この企業の成長スピードを感じざるを得ない。

『最近の「ジェットコースター」なエピソードでは、2007年の正月に自宅で新聞を読んでいたところ「楽天、2008年に米欧中でネット通販開始」の記事を見つけました。それを見てから提案書を書き始めました。実態としてはそれより前から話があったのですが、なかなか私の進捗が悪かったせいか、新聞経由でハッパをかけられたのかもしれません。(爆笑)。』

まさにジェットコースターと呼ぶに相応しい数々のエピソードを語ってくれた安武は、最後にこの巨大企業をこう語って締めくくってくれた。

『本当にこうやっていろいろなことが起きている会社ですが、正直今でも何が起きるか分からないところがあります。しかしそれを楽しいと思えるか、面白いと思えるかどうかが重要であって、大きな会社になった認識はしつつも、ベンチャーであり続けることが大事だと考えています。
まだまだヨーロッパでも中国でも楽天の知名度はゼロと言い切れるほどほど低いですし、世界一を目指しながらもまだまだ知られていないという壁を乗り越える為にベンチャーであり続けることができる、そう思っています。』

世界的な不況の中だからこそ、今最も求められているのはこのあくなき「ベンチャースピリット」なのではないか。安武の言葉を聴いているとそんなふうにも感じる。

世界を目指して邁進する楽天の今後にどんな未来が待ち受けているのか。そしてそれをどう乗り越えていくのか。彼らはある意味日本のビジネスの「新しいかたち」を提示していくという想像し得ないフィールドに来ている。彼らのストーリーは、3部作で語るには短すぎる。どんなストーリーになるのか、同社の動向に目が離せない。

(了)

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