楽天株式会社 取締役 常務執行役員 安武弘晃氏 第1回「そのはじまり」(全4回) 店舗数25,000店舗、会員数5000万人。インターネットの通販事業において日本で最大級の売上を誇る楽天株式会社。2000年に上場し、野村克也監督率いるプロ野球球団をはじめ銀行事業、証券・クレジット事業、旅行事業、ポータルコンテンツ事業などを多角的に運営し、1年間に1兆円もの金額が流通するインターネットコマースプラットフォームを構築している。 ネット時代の到来とともに彗星のごとく表れ、瞬く間に時代の雄として駆け上がった同社の軌跡を、創業時からのコアメンバーとして支えてきた安武弘晃氏に語ってもらおうと思う。 「第1回 そのはじまり」 金融危機にあえぐ世界経済の中で国内外に楽天のボードメンバーとして世界を駆け回る安武氏のキャリアとはどのように始まったのか。まずは彼のキャリアと会社との出会いを追ってみたい。 楽天株式会社 取締役 常務執行役員 安武 弘晃氏 『1971年に福岡で生まれ、大学で上京しました。私は正直特別な人間でも何でもなく、強いて言えば「極めて平均的な日本人」として育ちました。1996年25歳のとき、楽天の元副社長で友人の本城氏に「就職するまでのあいだ暇でしょう?アルバイトしないか?」とまだ現在の楽天株式会社の影も形もない状態で、学生アルバイトとして声をかけられ、ほとんど何も考えず軽い気持ちで始めたのが三木谷さんとの出会いだったのです。 ここで地ビールレストランや天然酵母のパン屋さん、インターネット教室など複数の事業で何のビジネスをやるか?を考えるところでアルバイトとして雑用などをしていました。その流れで、当時はインターネットの黎明期にあったため、大学でインターネットに触れていた私はインターネット教室のアルバイト講師をしていました。翌年NTTに内定が決まっていたため翌春からはNTTで働きましたが、およそ1年後に「大企業はつまらないでしょ。」といわれて現在の楽天株式会社の前進である株式会社エムディーエムに転職しました。 NTTも好きで面白い環境でしたが、先が見えるか見えないか、という意味では面白さが違いました。 これは人それぞれの感覚だと思います。ただNTT入社がご縁で、今回次代の会の幹事の中島さんとは同期としてお会いすることができ、今日この場でお話をさせていただいているわけです。 ベンチャーの雄として従来の企業人とは異なるキャリアだとは思っていたが、その頃から現社長三木谷氏との交流をはじめベンチャーマインドあふれる環境に身をおいてきたということだった。 その当時に今日ここまでの隆盛を想像できたかどうかはともかく、そんな彼らのはじまりはこちらの想像をはるかに上回る劇的なストーリーだった。 『ショッピングモールをやることはエムディーエムの設立前に決まっていました。ブランドイメージをつくるのにいろいろと議論がありましたが、日本人に向けた日本人に向けたサービスをするのだから分かりやすいのが一番だということで「楽天市場」を三木谷さんが選びました。「楽市楽座」のイメージから出た造語でした。 創業期は、私はその時NTT で働いていたためいなかったのですが、神谷町のオフィスで社長、副社長、そしてスタートアップに尽力した4名の6人の会社で立ち上げました。三木谷さんはその前からM&Aのアドバイザーとして活躍されていたので、さまざまなベンチャーへの投資を考えられていたそうなのですが「良い投資先がない、元気な若者がいない」ということで、それなら自らが社長になって成功事例を作れば後から若者がついてくるだろうということ、もう一つは若者がやる気と若さで大きなものをひっくり返したら面白いだろうということも考えていました。 とはいえ創業当初のリソースは元副社長の本城氏が借り受けたサーバー1台、それを会議室にあった一番立派なテーブルの上に置き、そして三木谷さんが「こういうのを覚えるとできるらしいよ」と買ってきた「はじめてのSQL」という本、そしてプログラムの家庭教師の先生をつけてもらっただけという状況でした。 またそのスケジュール感をお話しますと、1998年10月頃に何を事業でやるかを決定し、1999年の4月にリリース予定です。この時点で若干おかしいですよね。(笑)常識的にはできるはずがない。しかしこの計画は絶対実現をしなくてはならなかったのです。 それはなぜかといいますと、当時副社長だった本城氏が当時慶應の大学院の修士論文に「1999年4月に楽天市場というモールをオープンし、大成功する」と書き、それが単位取得の条件だったからなのです(会場爆笑)。そんなかたちで実際には5月にグランドオープンが「できてしまった」のですね。 しかしオープン後は苦労は大変なものでした(私はその場にいなかったのですが)。現在、取締役としてやっている小林と杉原、そしてもちろん三木谷さんの3人で全国へ電話し、駆け回って必死に最初の13店舗を集めました。会社名も知らない、インターネットの普及もしていない。そんな状況の中でも新しいことに乗ってチャレンジしたいというマインドやモチベーションをもっているお店の方と手を組んでお互いに励ましあいながらスタートができました。』 正直な話、のっけからイメージを覆された。楽天の執行役員という立場からもっとカタイ企業人、もしくは「ヒルズ族」のイメージだったが、本人は至ってフランク。 「今日はカタイ雰囲気か柔らかい雰囲気かによって話を変えようと思っていました」とのこと。講演の途中からエンジンがかかってきて柔らかくなってきた感もある。失礼だがある意味マンガのような世界的大企業が成長するエピソードをどこまで語ってもらえるのだろうか、これからが楽しみだ。 次回は創業時の更なる苦労話やビジョンを語ってもらおうと思う。 (次回へ続く) |