アイティメディア株式会社 代表取締役会長 藤村厚夫 「第2回 ひょうたんから駒」(全4回)

「IT分野を中核に、コンシューマー、技術者、企業向けなどの多種多彩なメディアを擁し、インターネット専業メディアとしてオンリーワンのものを提供する。」をキーワードに、IT総合情報ポータル「ITmedia」ほか20ほどのメディアを運営、2007年4月にマザーズへ上場した後、IT業界の最新情報を伝えるメディアとして、トップランナーとして走り続けているアイティメディア株式会社。今回はその創立者である藤村厚夫の素顔に迫ってみたい。

アイティメディア株式会社 代表取締役会長 藤村厚夫氏

「第2回 ひょうたんから駒」
大学を卒業後出版社の営業や経理の仕事を通じて当時隆盛を迎えたパソコンと出会い、その後ITを題材にしたメディア事業を立ち上げた藤村。当時はシリコンバレーでのITバブルで起業ブームだったとはいえ、まだ未知数のビジネスモデルに対して何が彼をそこへ駆り立てたのか。

『ITとメディアの間をいったりきたりのキャリアでしたが、私が96~97年あたりに考えていた流れがありました。それは「ITというもののサプライがメディアのようになっていく、またはサービスのような仕組みになっていく」というものです。

今でいうASPなどのモデルの原型となるもので、特に私の独創ということではないのですが、そのころまさにマーク・アンドリーセン(モザイクやネットスケープナビゲーターの開発者)がウェブの仕組みがエンタープライズ分野でこのような展開になると予測していて、時代の流れとしては必然でもあったわけです。そして、その先に生まれるのはそのような基盤がの上でさまざまなアプリケーションを作りデリバリーしていくようなエンジニアリングの仕組みができていくだろうという予測です。

私はその基盤、プラットフォームを使いこなす高いエンジニアリングをもった新しいジェネレーションの時代が到来することに寄与したい、お手伝いしたいと考えたのです。平たくいえば「ITに関わる人間のサービス、ビジネスをつくっていきたい」ということでした。

当時98~99年あたりは熱で浮かされたような起業ブームのまっさかりで、そういうことを自分で話すと周りは「それでいいじゃないか、早く起業しろよ」と急かされて「そんなものかなあ」と思っていました。 
かっこよくいえばITインダストリーに対して自分ができることがあると当時確信はしていましたが、別のいいかたをすれば「ひょうたんから駒」かな、と。その当時は「起業することとはどんなことか」とか「資本政策はどうするべきか」など知らなかったのですから。

その当時ベンチャーキャピタル的な立場の友人が創業するからというので、そのメンバーの一人として役員にでもなるのかな、と思っていたら友人達は「何をいってんだ、お前が社長をやるんだよ。俺たちは金を出すだけだ」と。まるでだまされたような気分でしたが、それだけ起業・創業が盛んだった時代だったわけです。』

聞けば聞くほどその時代の熱気が伝わってくる。しかし度を越した熱気は必ず泡となり、そしてはじける。
その泡に藤村とその仲間たちも知らずに乗ってしまい、そしてはじかれることになる。

『多々反省もあります。ソフトバンクの子会社と合併するまで、毎月、取締役会は毎回荒れた株主総会を行っていたような感じでした。
その経験から、しっかりと自分の頭を通過した理屈で会社を起業しなければ、後で苦労するというのがこれから起業するという方々に対しての私からのアドバイスでしょうか。
しかしそんな状況でありながら、私は事業を推進していく上で「21世紀に来るビジネスを考えたい」というビジョンは明確にもっていました。別の言い方をすれば「意地」ともいえます。』

前回の結びで今日彼の成功は「冷静で経営者としての客観的な目線」をキープしていたからではないかと書いたが、今回の話をまとめていくなかで、淡々と語るには大きすぎる試練を藤村が乗り越えてこれたのは、彼がメディアというフィールドにおける自らの存在価値を確信し目指した「ビジョン」「意地」が大きかったからだということに気がついた。
次回はそんな彼のビジョンと意地に迫ってみたい。

 (次回に続く)


静かな熱気が会場に漂う
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