アイティメディア株式会社 代表取締役会長 藤村厚夫「第1回 流転の人生、そしてメディアへの回帰」(全4回)

「IT分野を中核に、コンシューマ、技術者、企業向けなどの多種多彩なメディアを擁し、インターネット専業メディアとしてオンリーワンのものを提供する。」をキーワードに、IT総合情報ポータル「ITmedia」ほか20弱のメディアを運営、2007年4月にマザーズへ上場した後、IT業界の最新情報を伝えるメディアのトップランナーとして走り続けているアイティメディア株式会社。今回はその創立者である藤村厚夫の素顔に迫ってみたい。

アイティメディア株式会社 代表取締役会長 藤村厚夫氏


「第1回 流転の人生、そしてメディアへの回帰」
藤村の第一印象はやはり「メディアの人」。今まで講演を行った経営者達とは異なる、メディアに携わり、しかもジャーナリスティックな空気を漂わせたタイプの人、という印象を受けた。
業界柄どうしてもエンジニアが創業者として活躍する舞台が多いと思われるのだが、なぜ藤村はこの業界の情報を司るメディア事業へと入ることになったのか。

『もともとは出版の仕事につくことが非常に重要だ、というこだわりを頑なにもっており、新聞の求人広告で探した出版社に入れてもらったのですが、そこでなぜか経験のない営業や経理をやるはめになりました。
そのころにパソコンブームが起こり、経理処理にオフコンを導入するというプロジェクトで社内で最も若いお前がやれ、というような感じで担当になりました。
その頃からワープロOASYS、(NECの)PC-9801などが出現したわけですが、当時の出版は活版印刷といって文字を拾って活字にするような時代でもありました。
そのあまりの違いにどんどん古臭いものがいやになっていったわけです(笑)。
このままではいけないと思い、雑誌で見て知っていたような会社に片っ端から履歴書を送り「私はこんなことができます」とアピールしました。実際コンピューターでやれることなどほとんどなかったのですが(笑)、ともかく強引に入れてもらって今でいうIT業界に入ったのです。

その後はいろいろと業界内流転の日々でしたが、アスキーという出版社にいた際、コンシューマー向け媒体への異動辞令を機に「もっと企業向けのIT事業に携わりたい」と思い転職を決意し、お世話になった方々にご挨拶のメールを出したところ、当時ロータス株式会社(現IBM)に在籍していてマーケティングを担当し、その後インフォテリアを起業される平野社長(前回次代の会で講演)が自分の後釜を探していたのです(笑)。そこで声をかけられてロータスに入社することになりました。

ロータスでは「Notes/Domino」という優れたグループウェア製品のマーケティングを担当し、海外への出張なども頻繁に行くようになりましたが、知人などは熱に浮かされたように「もう会社人なんてやってる場合か」というように起業ブーム真っ盛りでした。
なぜか知人には株を運用しているような人間が多く「会社をつくるからお前も参加しろ」とそそのかされて起業したのが現アイティメディアの前身になる株式会社アットマーク・アイティ(2000年2月創業)だったのです。

今から考えれば調子に乗って会社を興すことが後で大変なことになる、というのを地でいってしまったのが私だったのですが 「日本のITに何か貢献できるかな」という思いと 「ものを売ったりするというより、人間の役に立ちたい」という思いを突き詰めていくと結局自分のバックグラウンドである「メディア」というフィールドに突き当たったわけです。
そこでインターネットの情報コンテンツを24時間、365日流せるIT関係の情報ポータルを作ったらどうだろう、というのが最初に考えた事業モデルでした。』

このようにして始まったアットマーク・アイティは、その後ソフトバンク傘下のオンライン・メディア企業ソフトバンク・アイティメディア株式会社と合併統合を経て、現在のアイティメディアが2005年3月に誕生。藤村はその代表取締役会長として就任し、今に至っている。

前回の平野も同じような時代を経て起業しているが、1990年代後半の西海岸におけるIT起業ブーム、ITバブルの熱風が、今の日本のIT業界の潮流をつくるきっかけになっていることは間違いない事実のようだ。
その熱風に吹かれて起業をし、大変な苦労をしたと藤村は語るが、その後の同社の隆盛を見ると、藤村の目線は常に冷静なメディアの、かつ経営者としてのそれであったといえるのではないか。

「流転の人生」と淡々と語る藤村の口調により、そのストーリー度合いは若干薄まって聞こえてしまうが、どのように流転しながらも成功を収めてきたのか、もう少し突っ込んで探ってみる必要があるようだ。

(次号に続く)


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