インフォテリア株式会社 代表取締役社長 平野洋一郎 第3回「アメリカンベンチャースピリット」(全4回)

IT業界にいる人間であればほぼ殆どの人間が聞いたことがあるであろう「XML」。
多様化するWeb2.0時代のデータ管理において、拡張性の高い運用を行う場合にはもはや標準といってもいい言語だ。
今年はついに「広辞苑」に掲載されたほど普及した技術であり、現在マイクロソフトの最新版オフィスはすべてがXMLで組まれているまさに「時代の言語」なのだが、そのXMLを専業としたソフトウェア開発会社を1998年創立し、昨年東証マザーズに上場、XMLのソフトウェア市場においてマイクロソフトを押さえ堂々の2年連続日本一のシェアを獲得しているインフォテリア株式会社。今回はそのインフォテリア株式会社 代表取締役 平野洋一郎のソフトウェアにかけてきた半生を綴っていきたい。
 

インフォテリア株式会社 代表取締役社長 平野洋一郎氏

第3回「アメリカンベンチャースピリット」
開発者としての実績を残しながらも「営業」を本格的に学ぼうと、当時外資系ソフトウェアの雄であったロータスに転職した平野は、外資系では営業活動の司令塔として重視されていた「マーケティング」を約10年担当した。この経験を持って「営業」を理解したと思っていた平野だったが、実際にインフォテリアを起業してから「マーケティング」と「営業」の違いを痛感させられる。

『正直自分にとって「営業」という仕事は「マーケティング」とは別の適性が必要な仕事なのだと実感しました。それを理解するまではとても時間がかかりました。分かっているつもりで分かっていなかったのですね。実際はインフォテリアを起業して2003年くらいまでは「営業」の強化をするのに苦労しました。採用に関しても私が「営業向き」だと思って採用した人材が実は「マーケティング向き」だということがよくありました。
しかし結果的にその経験を教訓にし、SI事業会社においてパッケージソフトウェア営業の実績をあげてきた現在の営業担当執行役員をして採用してから、営業組織が急速にできあがってきました。』

しかし、平野はこのロータスで新しい意識改革のきっかけも同時につかむことになる。

『「International Product Planning」で世界規模のプロダクト企画に関わることにより、アメリカ本社とのやりとりが頻繁に起こるようになりました。その中で、同僚がどんどん会社を辞めるんですね。「どこに行くの?」と聞くと「どこにもいかない。」という人が多くいました。「では、何をするのか?」と問うと、「起業する」といったり「友達の起業を手伝う」といったようにベンチャーの起業が普通になっていたのですね。これには驚きました。

さらに私を驚かせたのはその規模です。当時ロータスを辞めたアメリカの友人に話を聞くと、紙だけのビジネスプランで300万集めた、と。そうか、300万円か。それなら熊本に帰ってから事業をと考えている俺と同じくらいなんだ、と思ったら、ドル建てです。3億円ですね。これには度肝を抜かれました。日銭を稼いでその儲けだけをちまちま投資している日本のソフトウェアのビジネス手法は「竹やり」同然だと(笑)。
今で言うVC(ベンチャー・キャピタル)の存在を知ったわけですね。むこうではビジネスモデルさえしっかりしていれば、そこで一気呵成に資金調達すると同時に、人も集めて作り上げてしまう。しかもそこで失敗する同僚もいるのですが、罪に問われるわけでもなく、相互責任でなりたつアメリカのベンチャービジネスモデルに習い、また次の事業計画書を作ってチャレンジするわけです。その勢いとスピードが日本とはまったく異なるものだという認識を得たことで、日本でインフォテリアを起業する際にはそのアメリカ型ベンチャーのよいところを大いに取り入れてスタートしました。』

同僚が起業に失敗したこともある書いたが、実は平野もアメリカでの事業展開をわずか2年で撤退した苦い経験もある。
現在の主力ソフト「アステリア」開発前の出来事だが、現在のインフォテリアの隆盛は、そのアメリカでの経験が非常に重要な意味をもっている。VCなどから27億円という巨額の出資金を集め、その勢いで製品が揃わないうちにアメリカ進出をして失敗したのだ。その経験からしっかりとインフォテリアの方向性を徹底的に考え抜き、XMLに特化しながら、大手より早い製品化、そして複数の世界初の技術を引っさげ昨年日本市場東証マザーズに上場した。
現在同社の顧客は大企業を中心に500社以上。中堅企業へもひろがりを見せているほか、リピート率も年々増加の傾向にあるという。

『投資にはビジネスの「初速と角度」が重要だと考えています。「何でもやります」では投資は受けられません。本当に自社の強みが何なのか、大手に勝るスピードがあるのか。これが揃っていて初めて投資家を納得させることができると考えたわけです。』

熊本出身の平野が、アメリカでの経験を受けてビジネスに対する意識改革を行い、その経験を活かして日本市場に最先端の技術を武器にデビューするというストーリーに、幕末に海外の常識に度肝を抜かれ、そこから開国派への道を進んでいった志士の姿が重なって見えてしまうのは私だけだろうか。

次回最終回は、そんな平野率いるインフォテリアの理念、そして同社のこれからをリアルな言葉で語ってもらおうと思う。

(つづく)

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