インフォテリア株式会社 代表取締役社長 平野洋一郎 第2回「開かれた世界への扉」(全4回)

IT業界にいる人間であればほぼ殆どの人間が聞いたことがあるであろう「XML」。

多様化するWeb2.0時代のデータ管理において、拡張性の高い運用を行う場合にはもはや標準といってもいい言語で、今年はついに「広辞苑」に掲載されたほど普及した技術であり、現在マイクロソフトの最新版オフィスはすべてがXMLで組まれているまさに「時代の言語」なのだが、そのXMLを専業としたソフトウェア開発会社を1998年創立し、昨年東証マザーズに上場。XMLのソフトウェア市場においてマイクロソフトを押さえ堂々の2年連続日本一のシェアを獲得しているのがインフォテリア株式会社。今回はそのインフォテリア株式会社 代表取締役 平野洋一郎のソフトウェアにかけてきた半生を綴っていきたい。
 

インフォテリア株式会社 代表取締役社長 平野洋一郎氏

第2回「開かれた世界への扉」

熊本大学を中退し、キャリーラボという会社でベストセラーとなった日本語ワープロを開発しながらも、技術の進歩が見えていたことにより、現状に甘んじない姿勢で社長や営業と袂を分かつこととなった平野は、その後「営業」を本格的に学ぼうと、転職活動を開始する。
そんな平野を採用したのは、当時本格的なパソコン時代に突入しつつある日本に上陸した「黒船」ロータス株式会社だった。
しかし開発畑一筋で歩いてきた営業経験もない平野を、なぜロータスは採用したのか。

『当時日本に上陸してきている外資系のソフトウェア企業では、「日本語処理」の開発のニーズがとても大きかったのです。それまでの日本語ワープロ開発の経験から、開発者としての声をかけてくれるところは多数あったのですが、営業を勉強したいと思っていた私は、開発での採用を断っていました。
一方で営業の経験はまったくないわけですから、なかなか採用してくれるところがなかったのですが、ロータスの菊池社長(当時)が私の志望理由を聞いて「それじゃマーケティングをやってみるか」と採用して頂いたのがきっかけでお世話になることになりました。』 

開発者としてではなく、畑違いのマーケティング職に果敢にチャレンジした平野は、やはりそこで外資系企業ならではの体験をすることになる。
『当時、ロータスのマーケティングというのは、アメリカ本社で出来上がった英語版のソフトを日本市場向けにローカライズして売る、そういう仕事でした。つまり根本からコンセプトや戦略を考えて市場に提供するということはできないわけです。それでも自分にとっては経験のない領域だったので、非常に学ぶところが大きかったですね。
そこでマーケティングをやっているうちに、ロータスに入社した際に決めていた3年間が経過しました。以前熊本で一緒にやっていた仲間にも3年で戻るといっていたので、そろそろだと考えていたところ、英語版を開発してから各国のマーケットにあったようにローカライズするのではなく、最初から全世界のマーケットに合った製品を企画しよう、という「International Product Planning」という組織が作られたのです。
その頃から、上司は外人で、毎日英語でのコミュニケーションを迫られました。これには迷いました。九州で一緒にやろう、という仲間が待っていましたから。しかし世界規模でのソフトウェアの企画を行うプロジェクトに携わり、その醍醐味に魅せられ、結局そこで10年いることになりました(笑)。それは自分にとってもいい勉強になりましたね。』

熊本から名乗りを上げた「肥後もっこす」はこのロータスでのプロジェクトをきっかけに、現在のインフォテリアの原点ともいえる世界的視野のきっかけを掴むことになる。
しかし、この経験がまた違った意味でも、経営者としての平野にとって厳しい試練のきっかけでもあった。

(つづく)

Comments