株式会社ディーバ 森川徹治 第3回「試練・そして学び」(全4回) 日本で2000年より本格的に導入された「連結会計」制度。企業の統廃合とグローバル化の流れのなか、親会社を中心にした子会社、関連会社のグループ化に伴う会計処理のニーズを追い風に、1997年の設立以来大手企業を中心に業績を伸ばし昨年2月ヘラクレスに上場した「株式会社ディーバ」の森川徹治。 第3回目は、森川に訪れた大きな試練とその経験に基づき形成された経営哲学をさぐってみたい。 第3回「試練、そして学び」 ディーバ創業から5年、経営上の目標数値を5%以内に収め、着実に、そして順調にコマを進めてきた森川に、試練が訪れた。 『おごりといっていいかもしれません。私自身の心のなかに、このままやっていけばいいんじゃないか。GO GLOBAL もいいけど、そこまでやる必要があるのか、というようないろいろな迷いが生まれてきたのです。それが恐ろしいことに1、2年たって確実に会社が止まってきてしまうのを実感しました。 それ以来常に代表として事業価値を高めていくことに責任をもっていかなければならない、それが実現できないならいつでも降りなければならないと、肝に銘じてやってきたわけです。』 連結会計というクローズドな市場で、競合がほとんど存在しない状況で順調に推移してきたディーバの事業戦略上、それまで「順調」ということばを名実ともに実現してきた森川が危機に陥ったのは、彼自身の「おごり」が原因だったのだ。 『危機感を作れなかったのです。負けたらありえないということでパニックになり、そこでお客様に訪問しても、現場から離れていると感覚がずれてしまっていることに物凄く自信を喪失しました。 朝起きると体が信じられないくらい痺れていて朝起きれない。リーダーだから会社に行かねばならないのに行けない、そんな状態が続きました。』 本人いわく「軽い鬱」状態になるまで追い込まれた森川は、どのようにそれを克服したのか。 『正月の朝「このままでは本当にまずい」と走ったんです。これだけです。気持ちをコントロールするのを不可能だと判断し、体つくりからはじめたのです。その後はとにかく山に登り始め、登った達成感で、ビジネスの達成感を思い出したりして、1年半かけて克服したのです。二度とやりたくないですね(笑)。それ以来人間も会社も「健康第一」を全てに優先させるようポリシーを変えました。』 体が動かなくなるくらいの精神的な危機を、逆転の発想で体つくりによって克服した森川は、IPOで上場を果たしたときにも同じく予想のできない危機を体験している。 『昨年IPOの後、最初の決算報告などは予想通りだったにも関わらず、開場した途端にストップ安になったことにも非常に困惑しました。これは後ほど機関投資家の方と話して分かったのですが、私が掲げた「GO GLOBAL」や「BE PUBLIC」の理念が、金融市場の客観的な評価としては非常に独善的な経営というように見えるという評価だったわけです。そのような金融市場のマナーを学んだことが、IPOして最も価値が高かった経験だと思っています。』 そのような経験から利益率に関しては売上高の10%、売上高は前期比20%増をキープするということを自らに課したうえで「小さくても大きくても会社は公器である」というポリシーに従って、ディーバは確実に発展の階段を力強く上ってきている。 次回最終回は、これからの市場と「ミッションFORディーバ」と名づけられたディーバのこれからにかける想いを語ってもらいたいと思う。 |